第二領域と第三領域の区別の付け方 ~今日は10年後の10年前である~
僕は基本的に、しじゅう働いていないと罪悪感を覚える社畜体質の人間なのですが、こういう体質の人がえてして陥りがちなのが、「働くこと」そのものが目的になってしまって、肝心のその効果には目をつぶってしまうことです。
わかりやすく言えば,
1.自分が働いている実感があるけど効果がうすいこと
2.まったく誰でもできる、簡単な仕事だけど、成果に直結していること
のどちらかを選ばなければならないとしたら、このような人は1.を選んでしまいがちだ、ということです。これは、よろしくありません。
第二領域と第三領域をどうやって分ける?
『7つの習慣』では、やらなくてはいけないことを、以下の4つの領域に分けて考えることを推奨しています。
●第一領域 緊急で、かつ重要なこと
(例:顧客からのクレーム対応)
●第二領域 緊急ではないが重要なこと
(例:健康をキープするために毎日、緑黄色野菜を食べる)
●第三領域 緊急ではあるが重要ではないこと
(例:顧客からの、自分でなくても答えられるちょっとした質問の電話)
●第四領域 緊急でも重要でもないこと
(例:リビングに行ったらついていたのでなんとなく見ていたテレビ)
で、本日、問題提起したいのは、
「第二領域」と「第三領域」を分けることって、実はけっこう難しいよね
ってことです。
「友人との時間」は第二領域か第三領域か
『7つの習慣』においては、第三領域(緊急だが重要ではない)と第四領域(緊急でも重要でもない)にかける時間をなるべく減らして、その余った時間を第二領域にあてることで、格段に人生をよりよい方向に導くことができるよ、というようなことを述べているわけですが、
しかし、具体的に考えてみると、いま目の前にあるこれは、増やすべき第二領域なのか、減らすべき第三領域なのか、を見極めることって難しいんですよね。
たとえば、「友人のAくんとカフェで話をする」というタスクに関して考えてみましょう。
Aくんとはだいたい週に1回、会う仲なので、べつに今回、カフェで雑談をしなかったからといってなにがどうなるわけでもありません。
しかし、このようにちょいちょい会って話をすることそのものが友情を深めているわけでもありますし、そもそも友人を大事にすることは、人として大切なことのようにも感じます。
ここで、自分自身に語りかけてほしい、ある言葉があります。それは、「今日は10年後の10年前である」というものです。
「今日は10年後の10年前」とはどういうことか?
今日は10年後の10年前である――
「たしかにその通りだろうけど、それがどうした?」という話ですが、
これは、「いましていること、しようとしていること、やめようとしていることを、10年後の自分がどう評価するかを考えてみよう」という意味です。
たとえばなにかの拍子に、10年前の自分に戻って人生のやりなおしができたらどうでしょう? 「あれをやっておけばよかった」「これはやるべきじゃなかった」ということがあふれるほど思い浮かぶのではないでしょうか?
このテーゼは、それとは逆に「10年後の自分は、いまの自分の行動をどう評価するだろう?」という視点から、第二領域と第三領域を区分しよう、という意味をもっています。
10年後、という視点から考えてみると、「Aはたしかに大事な友人だったけど、いつも会ってるわけだし、資格試験がもうすぐなんだからその週くらい勉強に集中しろよ」となるかもしれません。
あるいは逆に、「Aは大事な友人なんだから、その週も会うべきだった」と、10年後の自分は言うかもしれません。まあ、完全な予知などできないわけですが、このように具体的な想定をしてみることで、Aさんと会うことが本当にそれほど価値あることなのか、考える大きな助けにはなるでしょう。
つまり、「10年後の自分が振り返ってみたときに、『この行動をとっておくべきだった』と思うであろう行動」が第二域に属する、ということです。
もちろんこの言葉には、だらけて目の前の快楽に流れてしまいがちな自分を戒める、という効果もあるでしょう。大人になってある程度の年数が経つ人なら、「10年前からもっと努力していたら……」という後悔なんてけっこうありますよね。
このように、この戒めを自分自身に与え続けることによって、第二領域と第三領域の区別が非常につけやすくなるのではないでしょうか。
トム・ヤムクンでした。
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