VIVA「作業思考」!

批判されがち 「作業思考」ってなんだ?

みなさんこんにちは、あなたの街の文系男子、トム・ヤムクンです。
今日は「作業思考」という言葉についてのお話です。

そもそもこの言葉を知らない人も多いかもしれません。作業思考とは一般的に「その意味をよく考えもせず、言われたことを言われたままにやる」というような意味合いです。企業のなかでは「作業思考はよくない」という言い方をする上司などに出会った人もいるでしょう。

ただ、僕はこの言い方によくイラッときます。「本当にこの意味で」使用されているのであれば、作業思考はよくない、という話には「たしかにその通り」とうなずくしかありません。

しかし、この「作業思考批判」って実態としては、けっこういい加減なもののようです。

そりゃあね、以下のような場合がよろしくない、ということは僕だって同意します。

「上司が『明後日までに会議のプレゼン資料を仕上げておいて』と自分に指示したが、どう考えてもそれが必要になる会議は明日だ。しかし、とにかく上司がそのように指示したのだから明後日の午後には資料を仕上げよう」

これは確かに本当の意味で「考えていない」といえるのかもしれません。しかし、この言葉はバズワード(意味や定義が曖昧なのに、みんなが共通理解であるかのように使っているあやしい言葉)です。この言葉を批判に使うことは、本来、批判すべきでないものまでその対象にしてしまう可能性があります。

 

 

「作業思考」って実は必要な件

たとえば、資本主義の発展には「作業思考」は欠かせませんでした。

もともと工業というのは、それぞれの家庭で職人などがおこない、それを問屋が買い取って市場に回すものでした。

たとえばここでは馬車職人(というものがいたのかどうかわかりませんが)を例にとりましょう。

馬車職人は、馬車をイチから自分で作ります。車輪とか、シートとか、あらゆる部品を作ってそれを組み立て、塗装までこなすのです。それはもう見事なもので、非常に長い年月、彼は修行にいそしんでおり、高い技術を持っていたのです。王侯貴族さえ、彼の顧客リストに名を連ねているほどです。

しかしだんだん、「労働者を一箇所(工場)に集めて分業させよう」という製造方法が主流になります。これは、多くの労働者を一箇所に集め、しかも、ある人は車輪担当、ある人は窓担当、ある人は塗装担当、ある人は組み立て担当、と、一人の仕事の分野を狭く限定したのです。そうすると、つい昨日までは畑仕事しかしたことなかったような人でさえ、最低限のレクチャーを受けるだけで立派に馬車の製造工程に参加することができるのです。

おかげで馬車は非常に多く生産されるようになり、値段も下がりました。

ここで大事なのは、この工場で働いている人々は、「どうしたらもっとうまくペンキを塗れるかな」とか「もっとラクに組み立てをする方法はないかな」とは考えても、「どういうデザインが貴族にウケるだろうか」とか、「ジェームズは最近、怠けがちだからクビにしよう」とは考えないことなんですね。それを一人ひとりが考えていたら効率が悪すぎるので、そういうことは工場長とかその工場の所有者である資本家だけが考えるのです。

一人の考えなくてはいけないことを狭く限定して作業効率を上げよう、という、これが資本主義の要である大量生産の重要なポイントです。

これが人類の発展を促し、現代でも分業による大規模経営というのは相変わらず相当な高い地位を占めているわけで、これは「作業思考」が現代社会に必須である、ということを表しています。「考える人」と「作業する人」を分割するのは必然なのです。

また、世の中にあまたあるタスク管理術においても、言い方に差はあれど「作業思考」をむしろ推奨していますよね。僕の実践しているGTDというタスク管理手法でも、「あるタスクをいつ、どのように実施するかと分類する段階」と「実際にそのタスクを実行する段階」を分けています。これはもう人間の生理として、「思考」と「作業」は同時におこなわないほうがいいらしいのです。

あれあれ? ここまで見てきたところ、作業思考っていいことづくめじゃないですか。批判されるどころか、人類の発展にも個人の生活にも多大な貢献をしている。作業思考バンザイ! ビバ・作業思考! 批判している人は、きっと目もしくは耳あるはその両方が腐っていたのでしょう。

 

 

 

むしろ「作業思考批判」は害になる

まあ、もう少し冷静に、「作業思考」を批判の対象として扱う人は、いったい具体的には何を批判しているのか、ということを考えていきましょう。

僕は大きく分けて、以下のようなパターンがあると思います。
1.「言われたことをやるだけでなく、オレの言いたいことを察しろ」
 →自分が王様タイプ

2.「作業思考、っていうのがなんとなくよくないこととされているみたいだからやめろ。今おまえがやっていることに対して文句を言いたいのだが、他にうまい言葉が見つからないから『作業思考』という言葉を適用しておく」
 →よくわからないままムカつくものを作業思考と称しているタイプ

けっきょく、おおよそ「作業思考批判」というものに的確なものはなさそうです。

 

 

 

 

「作業思考はよくない」思考は誤解を生む

この「作業思考」批判、一刻も早くやめるべきだと思います。

もっと具体的に言えば、「作業思考」という言葉によって、「タダのアホ」や「上司がただ気にいらないでだけで本質的には間違っていないやり方」が批判されることによって、本来は問題のないそれらの行為をしようとしていた人が萎縮し回り道になってしまいます。

また、本当の意味での作業思考(「思考」と「作業」をする場面を分け、作業をするときは作業に集中する)という真っ当なスキルが放棄されてしまう危険さえもはらんでいるのです。

だから皆さん、勇気を持って声を挙げましょう。

Viva! 作業思考!
No more! 作業思考批判!

 

トム・ヤムクンでした。

トム・ヤムクン

ライフハックと手帳を駆使して作家を目指している人。得意分野は手帳と日本史。Twitterアカウント:@tomyumkung01 ※このブログはAmazon.co.jpアソシエイトに参加しています。