高校演劇の脚本を書く際にぜひハリウッド映画をたくさん観てほしい理由
これまでこの件について書いたこと
みなさんこんにちは。あなたの街の文系男子、トム・ヤムクンです。
非常に遠い昔に高校演劇の脚本を自分たちで書くことにまつわるエトセトラについて書かせていただきました。
高校演劇の脚本を自分たちで書きたいときにやってはいけないこと (1)準備編
今回からしばらくはその続編として、マニュアル的に物語を書くことに対する考えを述べていきたいと思います。
今回のテーマは「高校演劇の脚本を学生自身が書く場合には、ぜひ何本もハリウッド映画を観てほしい」ということです。
マニュアルに従って物語を書くこと
自分たちで脚本を書く演劇部
高校に「演劇部があった」という方も多いでしょうが、たいてい、この演劇部の大会ではプロなどの書いた脚本を使うことも、部員が自分で書いた脚本を使うことも、どちらも許可されています。地域によっては違うパターンもあるかもしれませんが。
だいたい素人
しかし、少なくとも素人同然の人が大半なわけです。
たまにめちゃくちゃうまい人とか、あるいは劇団に入っている顧問の先生が書いているのでまあ観られるパターンとかもあるでしょうが、だいたいがそこまでいかない学生が書くことがほとんどでしょう。
そのような高校生たちが脚本を書くのは不利である、ということ、それでも自分たちで書きたければ最低限、何をしてはいけないのか/何をすべきなのか ということに関して書かせていただきました。
今回はその続きで、作劇における「マニュアル化」の是非について語っていきたいと思います。
アンチ「マニュアル化」の人々v.s.トム・ヤムクン
以前にも触れましたが、マニュアル的に物語を書く、ということに対して多くの人が嫌悪感を示します。この件について詳しくは次回、お話しますが、僕はこういう考え方は非常にもったいない、と思います。
おいしい料理を作りたいならば、最初は誰でも誰かの作ったレシピを参照しなくてはいけません。上達してレシピなして作れるようになったとしても、「野菜とルーを加熱しないで、まったくオリジナリティあふれるカレーライスを作りました。消化にめちゃくちゃ悪いですが、ぜひお召し上がりください」なんて人はまずいません。やはり、「野菜とルーを加熱する」という原則は忠実に守る人が大半なわけです。
ハリウッド映画の脚本はなぜすごいか
「マニュアル化された作劇」とは何か
僕がここでお話している「マニュアル化された作劇」というのは、舞台ではなく映画の脚本の書き方のお話です。具体的にはシド・フィールドやブレイク・スナイダーが理論化したもので、現代でも多くのハリウッド脚本が間接的にせよこのセオリーを下敷きにして書かれています。
ハリウッド映画に「よくある展開」
その典型的な展開を追っていくと以下のようになります。
・悩みを抱えながら生きる主人公
・しかし、そのに日常を一変させるできごとがおこる
・主人公は厄介事に巻き込まれ、これまでとは違う世界(すなわち場所、地域、職業、事件、任務、恋愛など)に足を踏み入れる
・苦労はするものの、新しく出会った人々の助力を得ながらその世界での課題をクリアしていく
・しかし、主人公にとって最悪なことがおこり、状況が一気に悪くなる。
・仲間(あるいは師匠や親友、相棒など)が死ぬか戦い(もしくは主人公がメインで取り組んでいる任務や活動など)から離脱する
・主人公は思い悩む中で、自分に欠けていたものを見つけ、それを切り札にして最後の大勝負をしかける
・クライマックス(最後の大勝負)
・主人公の勝利あるいは敗北
・それによって変化した世界(主人公の周囲の環境)
これを読みながら、それぞれの頭の中には有名な映画や小説などが思い浮かんだことと思います。スター・ウォーズだったりスパイダーマン、あるいはローマの休日など有名作品を思い浮かべていただくと、すべてこのような構造を持っていることがわかるでしょう。
どんな物語でも代入できる
それにはちゃんと意味があります。このようにハリウッド映画に共通している「あらすじ」らしきものは、脚本の「構造」であって、時代設定とか登場人物の性格とか、そういったものとはかかわりありません。
同じような構造を使って、刑事ものだろうがSFだろうが恋愛だろうが、さまざまな「趣向」(あるいは「ジャンル」)の物語を描けてしまいます。もとコンビニエンスストアだった物件がドラッグストアになりデイサービス施設になり、また不動産屋になるのと同じように、「構造」と「趣向」は別の次元に成立しているため、構造のほうはどんな物語にも使い回すことができます。
だからハリウッド映画はすごい
のちにご説明しますがこのような構造は、人類が「面白い」と感じやすい構造のようで、それゆえ何百年と語り継がれてきた神話などは、この構造に近づいていく傾向を持つようです。
これを徹底的にトレースしながら、あるときには蜘蛛のせいで特殊能力を身に着けた少年の物語を、あるときにはタイタニック号沈没事故に隠された悲恋を、またあるときには巨大隕石から地球を救う石油採掘業者の物語を、と、趣向を変えて作品を量産し続ける、というところがあのハリウッド映画産業のすごさなのです。
次回は、このようなマニュアル化された物語を書くことを提唱することが、どうして一部の人々の反発を生むのか、についてお話していきます。
トム・ヤムクンでした。
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