創作脚本の最初のページにあるアレ 〜高校演劇の脚本シリーズ〜
みなさんこんにちは、あなたの街の文系男子、トム・ヤムクンです
このブログの中で割と読んでいただいている「高校演劇の脚本シリーズ」に関して、今回は追加のネタを投稿したいと思います。
「性格」を一言で表現すること
高校演劇においては、既存の、プロなどが書いたものを使うパターンと、高校生たちが自分で書くパターンの両方が認められています(どちらかが禁止の地方もあるかもしれませんが)。
高校生が書いた「創作脚本」でよくあるものとして、僕がつねづね、不可解だと思っていた慣習があります。
それは、脚本の本文よりも前、いちばん最初の部分に登場人物の名前が羅列されていて、それぞれの人物の「性格」が書かれていることです。
例えば
「ユウコ 16歳 おっちょこちょい」とかです(おっちょこちょい、という言い方もいいかげん昭和感がハンパないですね)
こういうものを見ると全く違和感しかないのですが、結構やる人がいますよね。いったいこれは何なのか?
そしてなぜ僕はこれに違和感を持つのか、ということに関してお話ししたいと思います。
血液型とか本当に必要なの? そうなの?
「性格」だけならまだしも、たまに血液型や星座まで書いてあることがあります。
輸血シーンとか何かギリシャ神話に絡んだシーンが脚本中に存在するなら別ですが、そうでない限り血液型や星座なんてものは全く不要かと個人的には思います。
血液型や星座の話はともかくとして、「おっちょこちょいな性格」という記述がなぜ必要とされているのでしょうか?
演者に対して「性格」を書くことの怠慢
おそらくそれを書いた人からすれば、「演者が登場人物の『性格』なるもの把握するため」という意図があるのでしょう。
あるいはただ単に「そういう習慣だと思い込んでいるのでそれに従っている」ということもあるかもしれません
しかしおそらくこういう試みというのはあまり意味がないでしょう。
「おっちょこちょいな性格」という、たった一言で表現できるほど、人間は単純なものではありません。
また、その一言のみを頼りに演技していたら間違いなくその演技はきわめて薄っぺらいものになるでしょう。
また書き手としてもこれは怠慢です。登場人物の人物像というものはこのようなたった一言で表すべきものではなくて、脚本全体を通じて、行動や言動の集積によって表現されるべきです。
「おっちょこちょいの性格って書いたんだから、もうそれで登場人物を表現した気になっている」というのはもう、書き手の責任放棄でしかありません。
このように、そもそも観客には読むことができない「登場人物紹介」のページで人物を表現しようとすることは無理があります。
そして、そなたった一言のみをもって人物を表現して気になっていれば、観客には間違いなく大いなる疑問と違和感を植え付けることに成功するでしょう。
そのため演者に対しても観客に対しても、人物というのは脚本全体の文章を通じて表現されるべきものであるというのは肝に銘じておいた方がよいでしょう。
トム・ヤムクンでした。