「自覚のないパクリ」を防ぐ唯一の方法 ~高校演劇の脚本シリーズ ひとまずの最終回~
「自覚のないパクリ」とは何か
こんにちは、トム・ヤムクンです。
以下のような感じでお送りしてきた高校演劇の脚本シリーズも、今回でひとまず最終回となります。
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今回は前回の続きで、「構造に無自覚な作劇が無自覚なパクリを生む」ということについてお話していきます。
自覚のないパクリ
この世には、自分の観られない/読めないものを含めるととんでもない数の映画や小説やテレビドラマがあります。われわれ日本語話者が理解できる。日本語の音声もしくは字幕のついたものだけでも、一生のうちにすべてを観る/読むことができる人はいないでしょう。
ですから、「自分の書いたものが、この世のどこかに存在する自分の知らない物語に偶然、似てしまう」というのはよくあることでしょう。
しかし、ここで僕の言う「自覚のないパクリ」はそういうことではありません。
むしろ、「自分の知っているものに、知らず知らずのうちに自分の作品を似せてしまう現象」のことを指します。
なぜそれが起こるのか
10種類の猫
もしあなたがこれまでの人生で黒猫以外の猫を見たことがないとして、「10種類の、違った種類の猫を描いてください」と言われたら何を描くでしょう?
おそらく目の色が緑の黒猫(実在するのかどうかは知りませんが)や目の色が黄色の黒猫、また尻尾の長い黒猫や短い黒猫、痩せた黒猫や太った黒猫、などを描くのではないでしょうか?
そう、我々は「猫」という概念に関して、実体験や見聞きした知識からイメージをあてはめるしかないので、この状態で茶色の縞の猫や白猫はどうあがいても描くことができないのです。(描いたとしても、それはユニコーンやドラゴンといった架空の存在として、あなたはそれを描くはずです)
物語でもそれは起こる
物語を書く際にも同じことがいえます。SFといえば「スター・ウォーズ」しか知らないという人は、「SFを書いてください」と言われたらスペースオペラを書く確率が高いでしょう。架空の銀河で少年が、宇宙船に乗ってロボットたちと冒険する話を書く人が大半かと思います。「フォース」という単語さえ登場するかもしれません。「スター・ウォーズ」しか知らないので、「フォース」がこの作品の造語であることに気づかないのです。
「コレしか読まない」の弊害
この例は極端だとしても、往々にしてこういうことは実際に起こっています。ある限られたジャンルしか読まない人、同じ作家の作品しか読まない人、ライトノベルしか読まない人――などは、その狭い範囲でのみ通用する「お約束」を、物語すべてにあてはまる「ルール」だと誤解してしまい、ほかの可能性に思いを至らせることができないのです。
これがこの記事で言う「自覚のないパクリ」です。そしてこういったものを書いてしまう限られた読書経験・視聴経験しか持たない人に対して、それを読む/観る人は往々にしてそれよりもその種の体験が豊富ですので、「パクリ」としかみなされない、ということになるのです。
それを防ぐにはどうするか
ではこのような「自覚のないパクリ」を防ぐにはどうすればいいのでしょうか?
個人的におすすめしたいのが
視聴体験を積む→構造について学ぶ→視聴体験を積む
というプロセスです。
まずは経験を積む
ひとまず多くの作品を観て読みましょう。
前述したように、高校演劇の脚本の素人作者がしばしばやりがちなのが、「限られた読書・視聴体験のみを元にして知らずにパクリをしてしまう」ということです。
それを防ぐために、まずはこれまで観た/読んだことのないジャンルにたくさん手を伸ばしましょう。
構造を学ぶ
そこそこの映画やドラマ、小説などを観たり読んだりしたら、ぜひシド・フィールドやスナイダーなどの著作を読んで、彼らが分析に用いた映画の脚本の構造についてのモデルを理解してください。
このブログで何度かお伝えしているように、これを理解したうえで作品を書くことで、無駄のなくスムーズな、そして何より面白い作劇ができます。
そしてまた観て、読む
映画の構造についてひととおり理解したら、また多くの作品に触れましょう。ここでの目的は読書・視聴体験を増やす、ということももちろんですが、「構造分析をしながら作品を観る/読む」ということにあります。
そのため、これまでに観た/読んだ作品を、その構造について考えながらふたたび読みかえす/観かえすというのも有効です。
以上のステップを踏むことによって、ある一定のジャンルの作品内で、あるいはある作家の作品内やすべての娯楽作品で、「共通している要素」と「共通しない、そのジャンルやその作家の作品にしか出てこない要素」がそれぞれ何なのか、を知ることができるのです。
ここまでくれば、もう「知らずにパクリ」をすることはなくなるかと思います。
それでは「高校演劇の脚本シリーズ」はひとまずこのへんで幕を閉じたいと思います。またいつか書きたいことが見つかったら書かせていただきます。
トム・ヤムクンでした。