日本史について語るときにぼくの語ること

これは僕がある生徒にした話だ。
 
彼女は18で、耳がきれいな子だった。彼女の耳を時たま目にしたとき、僕はある種の心地よさのようなものを感じずにはいられなかった。
 
「幕府ってなんで3つもあるのかしら」彼女は言った。「ひとつにしてくれれば、私みたいな未来の受験生が困ることもなかったのに。ばかみたい」
 
やれやれ。僕は返答に困った。それぞれの幕府は、それぞれの歴史的必然があって生まれてきたのだ。うまい料理にうまいワインが必要なように、あるときには鎌倉幕府が、あるときには室町幕府が、またあるときには江戸幕府が必要とされたのだ。
 
 
「それにしてもよ」彼女はつやのある髪をかき上げながら言った。その時に、あの形のいい耳があらわになるのを僕は見逃さなかった。「レキシのヒトたちは、よーし、じゃあ幕府っていうやつはもう役に立たないからやめようって決めたわけでしょ?  なのに、どうしてやっぱりまた幕府をつくろう、ってなったわけ?
 
僕はぱちんと指を鳴らした。「それは重要なポイントだ。実際、幕府はその歴史的使命を終えたときに滅びた。でも、幕府の幕府的ななにかは、相変わらず必要とされていて、時代に合わなくなった部分をリニューアルして復活したんだ
「りにゅーある」彼女はくりかえした。彼女が形のいい唇を動かしてそう言うとき、それはある種の荘厳な響きをまとって聞こえた。
「そう、リニューアル」
 
 
 

遺産相続あるいは3つの幕府を理解するポイントについて

「3つの幕府とその社会を理解するための大きなポイントが、相続の方法だ」と僕は言った。
 
「たとえば鎌倉幕府の例を見てみよう。その実態は、土地の所有権をたえず平安貴族に脅かされてきた武士たちが、自分たちの権益を守るために作った労働組合のようなものだった。武士たちは一族の長が死んで、財産を相続する際、それをなるべく平等に子どもたちに分けようとした。ただ、庶子は嫡子の半分しかもらえなかったけどね。武士の子どもたちはみな遺産をもらうんだ。
  
このころは女子にもきちんとした相続権があった。まったく平等というわけではなかったにせよ、次男以下の子どもたちにしてみればありがたい制度だ。しかし、鎌倉幕府はそれで滅びた、皮肉なことにね。分割相続を繰り返した結果、一人の領主の相続分はどんどん少なくなって、零細化したんだ」
 
「よくわからないわ。それでどうして滅びることになるの? みんなが平等に田んぼをもらっていたら、ぜんぜんもらえない人がいないわけだから、むしろバクフも安心なんじゃない?」
 
「現代の企業と同じだ」高度にソフィスティケートされた資本主義社会では、規模が大きいほど経営効率はよく、少なければ悪いのだ。
ばかみたい、彼女は言った。
「完璧な幕府などというものは存在しない。完璧な受験生が存在しないようにね」
 
 
 
 

室町幕府あるいは相続をめぐる果てしない争いについて

「滅びた鎌倉幕府に変わって権力を握ったのは倒幕を主導した後醍醐天皇だった。彼は天皇がみずから政治を主導した何百年か前の時代に時計の針をもどそうとして、その昔はとるにたらない存在だった武士たちを、彼の時代にもとるにたらないものであるかのごとく無視した。具体的には、倒幕で活躍した武士にもぜんぜんポストや恩賞を与えなかったんだ。そこで足利尊氏が担がれて新しい幕府がつくられた
「室町幕府ね」
 
「ここで武士たちは鎌倉幕府のときの失敗にこりごりして、遺産相続に関してあたらしい仕組みを作ったんだ。すなわち、もっとも優秀な一人の子が、先代の遺産である農地をすべて受け継ぎ、他の子はみなその後継者の家臣になる、という仕組みだ。これはきわめて合理的に思えた。なにしろ相続を繰り返しても、領地は分散せずに効率のよい経営ができるんだからね。
 
しかし、だれが優秀な人物か、ということについては当然ながら意見がわかれる。こればっかりは主観でしか決められない部分も多いからね。そして多くの武士たちが、果てしない遺産相続争いで戦い、虚しく死んでいった」
「ばかみたい」またもや彼女は言った。
 
 
 

家康は菓子を投げたのかもしれないしそうでないのかもしれない

「だれかがどこかで、こんなことはもうやめよう、って言わなかったの? ジョン・レノンみたいな人が現れて、『遺産相続争いもゲコクジョウもない平和な世界を想像してごらん』って言えば、みんな冷静になれたんじゃないのかしら?」
「すばらしい」僕は心から感心して言った。彼女の言うとおりなのだ、たしかに。「次に戦国時代が来て、そのとき僕が天皇や将軍だったら、きみの意見を採用してジョン・レノンを武道館に招待すると思うな。でも、残念ながら歴史はそんなふうには進まなかった」
 
「殺し合ったのね」
「そう、あくまで殺し合った。それこそ徹底的に殺し合って、国内の戦乱を鎮めたあとは朝鮮半島まで攻め込んだ。その果てに天下を取ったのが――」
「西田敏行ね」

 
 
 
「徳川家康だ。彼は室町幕府の抱えていた構造的なジレンマに、最終的に答えを出した人だった。すなわち、『もっとも優秀な者が家督を継ぐ』という体制を『優秀であれその逆であれ、長男が家督を継ぐ』という体制に転換したんだ」
 
彼は二人の幼い二人の孫を呼びつけた。一方は、長男の秀忠夫婦が疎んでいたのちの家光、もう一方は可愛がられていた次男の忠長だ。秀忠夫妻は、忠長を次の将軍にしたいと考えていた
「それで?」
「家康は家光をそばに呼び寄せてみずから菓子を与え、忠長には投げてよこした。『おまえは家光の家臣になる立場なのだから、控えておれ』と言ってね。そうすることで、長男が家督を継いでいく体制をつくることを、世の中に知らしめたんだ
 
彼女は持っていたシャープ・ペンシルの尻のところで、とんとん、と形のいい唇を叩いた。

 
 
「とうぜん」やがて彼女はつぶやいた。「長男がどうしようもなくばかで、能無しで、子どももできないし家臣を片っ端から切り捨てるようなろくでなしだった場合のこともちゃんと考えていたんでしょうね」
 
「もちろん家康はそのことも考えていた。幕府の政策を将軍が独裁で決めるのはなく、将軍の補佐をする老中たちが、話し合いで決める体制をつくったんだ。こうすれば、将軍が無能でも優秀な家臣たちを選べば幕府は機能する
「でもその江戸バクフも、最終的には滅びたんでしょう」
「江戸時代の終焉は、相続すべき所領じたいにほぼ価値がなくなってしまったことによって起こった。すなわち、戦乱がなくなって安定した農産が確立されたことで米の価格が下がり続け、武士たちはまたもや貧乏になっていったんだ。こうなっては、もう遺産相続のシステムをどんなに優れたものにしたところで意味がない。ジ・エンドだ」
「ばかみたい」
 
「じゃあ最後に復習をしてみよう。江戸幕府ができたのは?」
「1192年」
「やれやれ」
好むと好まざるとにかかわらず、年号は覚えなくてはいけないのだ。誰かがどこかで、このような雪かき仕事をしなくてはならない。

トム・ヤムクン

ライフハックと手帳を駆使して作家を目指している人。得意分野は手帳と日本史。Twitterアカウント:@tomyumkung01 ※このブログはAmazon.co.jpアソシエイトに参加しています。