「メモをとれv.s.メモをとるな 論争」に終止符を
メモをとれ論争
新社会人のみなさんとかつて新社会人だったみなさん、そしてこれから新社会人になるみなさん、お疲れ様です。あなたの街の文系男子、トム・ヤムクンです。
どっちに転んでも怒られる問題
前回の記事で、「メモをとれという上司とメモをとるなという上司がいて、どっちに従っても怒られるので不毛ですよね」という記事を書きました。
トラベラーズノートで「家でも常にメモができる環境」を構築する
新社会人の方で、さっそくこのような文脈で怒られて「会社の洗礼」を受けた人もいるのではないでしょうか。いきなり会社員を続けるのがイヤになりますよね(笑)
まあインターネットで古くから言われているネタかと思うのですが、今日はこのことについて見解を述べていきたいと思います。
その心理を探る
それぞれの心理に迫ってみた
そもそも、このようなことを言う2タイプの上司たちは、どういう考えでこういった発言に至っているのでしょうか?
メモを取れ という人
まず、メモをとれ、という人の考えですが、以下の理由が考えられます。
・教えたことをまた聞かれるのが面倒くさい
・何度も同じ質問をさせるのは尋ねる側、尋ねられる側双方の人件費を無駄にしていることになる
・特に理由はないが、それが当たり前だと思っている
メモを取るな という人
対して、トム・ヤムクンが想像する「メモをとるな派」の考えは以下です。
・メモをとる時間は顧客は会社に貢献していないので就業時間内にやるべきではない。家でやれ。
・メモを取るのを待つ時間がもったいない。あるいは、自分が話すリズムが乱されるのでうっとうしい。
・特に理由はないが、それが当たり前だと思っている
トム・ヤムクンは「メモをとれ」派を全力で応援します。
メモをとることの意味
僕はこのようなブログを書いていることからもおわかりのとおり、「メモをとれ派」です(基本的には)。
教育なり研修なりって、そもそもなにかの技術や知識を習得させるためにやるわけですから、メモがその効果を高めるために有効なのは疑いようがありません。
なにしろ、それを見れば「忘れてしまっても思い出せる/情報をあらためて仕入れることができる」わけですから。
自分大丈夫っす
ただ、「自分、メモをとらなくても大丈夫っす」という部下なり後輩なりに対して、メモを強制するのも意味不明です。大丈夫って言ってるわけですから。
もっといえば、それで「怒る」のはいかがなものか。と思います。ここまでくるともうメモハラです。
こう考えるのも大事です。すなわち、「今、自分が『メモをとれ』といったことに対してこの新人は『大丈夫っす』と言ったけど、ひょっとして別の上司に逆の怒られ方をしたのではないか」と。
このメモをとるか、とらないか、といういわゆるダブルバインドは有名な話ですし、昔からある「社会人あるある」なはずなので、「メモに関して自分とは正反対の態度をとる人に何かを教わったのかな」ぐらいの想像はしてほしいものです。
まとめ
基本的には「メモがとれる状況であるのにとらなかった」ことによって、再度きく手間と時間が発生した場合は、聞く側の自己責任だと僕も思います。
ただ、最初のうちは「どの部分のメモをとるべきか」という判定すら難しいことが多い。
そのため、そのくらいのロスは大目に見るべきですし、再度きかれるのが面倒くさいって言う上司は教育をする資格がない人だと僕は思います。
とにかく「メモをとれば、とらないよりも内容があとから思い出せる」というのは中学生でもわかります。みなさん、恐れずメモをとりましょう。
トム・ヤムクンでした。
ちなみに世の中がイヤになりかけた人にぜひ読んでいただきたい小説が以下です
↓↓↓(僕の作品です。ぜひぜひお読みください)