「つらみ」のわからなみがひどみでやばみな件
みなさんこんにちは、あなたの街の文系男子、トム・ヤムクンです。
今日は最近よく使われがちな「み」の付く言葉についてお話しします。
「やばみ」「つらみ」とか、よく言いますけど、あれってそもそも間違った日本語だ、ということをなんとなくはご存知と思います。
これについて今日は検証していきたいのですが、実は調べてみると、なかなか一筋縄ではいかない、深みのある言葉の使い方であることがわかりました。
近年、使われるようになったと思われる「み」のつく言葉
・やばみ
・尊み
・つらみ
・おいしみ
・会いたみ
こちらは近年使い始められた思われる、「み」のつく言葉です。こうして見るとすべて形容詞のようですが、
「会いたみが強い」
なんて使い方を考えると、どうやら実は名詞として使われているようです。(「会いたみ」という言葉はこの文の主語であるわけですが、主語になることができるのは名詞だけ)
そもそもつらみ、は、つらいの誤用ではなく「つらさ」の誤用であると思われる。
つまり、「眠い」を「ねむみ」にしているのではなく、「眠さ」を「ねむみ」にしているというわけですね。
これらは形容詞ではなく名詞だったのです。
ただこれらは、もとは形容詞だったものを名詞にした形ではあるみたいですね。
旧来から使われていたと思われる「み」のつく言葉】
・えぐみ、甘み
・深み(なぜか「浅み」は言わない)
こちらはそれに対して、旧来から使われていた、いわゆる「正しい日本語」である「み」のつく言葉です。
さて困りました。「み」のつく名詞化した形容詞って、近年の誤用でもなんでもないんですね。
しかもそもそもの言い方として、
・辛み→辛さ
・甘み→甘さ
みたいに、「み」も「さ」も両方、成立するじゃないですか。この違いからまずは検証していきましょう。
「辛み」からの分析――全体の中の一部説
「辛み」と「辛さ」は両方とも誤用ではありません。
では、この辛さと辛さはどう使い分けられてきたのか、というと、
「み」→複合的な全体の一部「さ」→全体の性質
という使い分けらしいです。
わけわからないと思いますが、つまり、「辛み」と言ったときは、カレーという食べ物を食べたときに感じる辛い、甘い、酸っぱい、のような味が合わさった全体の味の中の、辛い味、ということです。
「このカレーは辛みが強い」と言ったときは、ほかに甘い味、酸っぱい味があるなかで、辛い味が特別に取り上げられて言及されている、ということです。
しかし「このカレーの辛さは中辛だ」というとき、ほかの味は意識されていません。
ということは……
以上の分析からすると、
「明日のテスト勉強していなくてつらみが強い」→明日に対する自分の感情は、楽しみである、悲しい、不安である、つらい、といったさまざまな感情があるなかで、「つらい」という感情が強い「明日のテスト勉強していなくてつらさが強い」→明日に対する自分の感情に関してはただただ「つらい」という気持ちが強い
という区別ができそうです。
主観の違い編
ただ、さまざまなネットの記事などを見ると、「さ」と「み」はむしろ語感からくる主観の強さ(強み)の違いによって使い分けられているという説もあります。
すなわち、「つらさ」と言うよりも「つらみ」と言う方が、その感情に対する自分の主体性が抑えられて、より、軽い印象でその感情を表現できる、ということらしいのです。
「み」と「さ」にはそもそも、そのような違いがあるのかどうかは定かではありませんが……
さすがにないやつら
ただ、この「やばみ」などといった使い方を認めるとしても、なお違和感が残る表現があります。
「わかりみ」
わかる(動詞)→わかりみ(名詞)
もう、もともとが形容詞じゃないじゃん!
「彼氏と別れてつらみ」
彼氏と別れて(連用修飾語)/つらい(形容詞)→彼氏と別れて(連用修飾語)/つらみ(名詞)
お待ち下さい、お客様、そこは「彼氏と別れた(連体修飾語)/つらみ(名詞)」ではないのですか?
せっかく「つらい」を名詞化しているのだから、修飾語も連用から連体にしてあげなくてはかわいそうではないですか。
どうやら「つらみ」「やばみ」は、ここでは形容詞のままで使われているようです。この場合、たとえば「強意」などを表す助詞としての「み」が「つらい(形容詞)」にくっついた形なのかもしれませんね。
このようにちょっと分析してみてもなかなか、わからなみが激しいのですが、このつらみをバネにしてこれからもいろいろなおもしろみのある表現に果敢に挑みみで行きたみと思いみです。
トム・ヤムクンでした。